なぜアンプラグドなの?

なぜ、小学校の「プログラミング教育」はアンプラグドがもてはやされるのか。
先行する研究指定校では、コンピュータを使った実践も行われている。しかし、アンプラグドの実践もまた行われている。文科省が出してきた手引には、改訂前はアンプラグドの例が多い。プログラミング的思考を強調するために、コンピュータがなくてもできますよという文言が。学習指導要領と同じように、現場では文科省が出した文書にあることをやらなくてはいけない、文書にないことはやってはいけない。そのように解釈・忖度してしまうのである。PCやタブレットを使うとなると裏付けがないので教材の費用負担などを議会や保護者に説明ができないということもある。先行事例では費用が安いハード・ソフトを工夫して使うわけだが、教科書ではMESHがよく使われるようで企業の営業が成功したのだろう。RaspberryPiやmicro:BITIchigoJamを使ってとなると「なぜ教科書に載っていないことをやるのですか?」教科書に載ってないとお手上げである。自治体の規則でフリーソフト・無償のソフトウエアはインストール禁止というのもある。脆弱性があったらだれが責任を取ってくれるのかと。ブラウザで実行できる教材が採用されるのはそのためだろうか。
現場の教員のスキル不足も深刻。これPCが学校現場に入ってきた段階から問題になってますね。学活・学裁・総合的な学習の時間を使ってコンピュータマニアの先生が勝手に始めてしまった。普通の先生は事務用のPCの導入にも抵抗を示す。ワープロ表計算からして使えなかったのである。通知表などの記録文書は手書きでないと認められなかったし、ボールペンさえ不可だった。キーボードからの文字入力ができなかった。さすがに教員の世代交代が進み、学生時代からPCを使用するのが当たり前の世代に入れ替わってはきた。だが、情報教育やコンピュータのプログラミング技能は不十分だし、「プログラミング的思考」も学習していない。そしてそれらを「教える」知識技能は学んでいない。
タイピングの技能は特殊技能ではない。機械式タイプライターの時代から続いてきた教授方法がある。アルファベットなので児童には難しいとか言いながら、小学校にも英語を導入しようという矛盾。ローマ字の学習は中学年だから低学年は文字入力はやらせない。英語が必要になるから低学年から教えようとか。QWERTY配列を覚えているタイピストが小学校で習ったローマ字の知識を使うとローマ字入力が使いやすいのに、QWERTY配列もローマ字の規則もアルファベットも知らない児童にローマ字入力をやらせる。かな配列を覚えるとアルファベットができないというトンデモ説。
社会にでれば、テキストエディタでソースを書いて、コンパイルして、実行ファイルを作る。ビジュアルプログラミング言語ってプログラム製作の現場で使われてますか?プログラミング教育はプログラム養成ではないと。
プログラムを製作するための知識と技能を身につけさせよう。そのためにはIchigoJamは安価で利用しやすい教材である。スタンドアローンで編集と実行を含む1つのプログラムであるIchigoJamBASICは、習得が容易なプログラムである。BASICとは「beginner's all-purpose symbolic instruction code」(「初心者向け汎用記号命令コード」を意味する)なのだから。